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松の司の酒造りにおいて、日本酒の原料である《米》や《水》と向き合うことは、技術の研鑽と同様、「美味しい」酒を造る上でとても重要です。人間がコントロールできる技術とは違い、この土地から生まれる《米》や《水》について考え、それらを松の司らしい酒へと導くことは我々の酒造りの根幹と言えるかもしれません。
これまで地元竜王町の《米》とそれを育む土地への眼差しから、土壌の多様な個性に注目した[土壌別シリーズ]や、自然環境に敬意を持って向き合い、土地の姿をありのままに表現する[AZOLLAシリーズ]など、松の司を代表する酒たちが生まれてきました。
もう一つの重要な原料である《水》。水について考え、松の司らしい酒の表現を模索する上で、まずは松瀬酒造の水を知る必要がありました。
当蔵の井戸水は地下120m、大きな岩盤の下にある水脈から汲み上げているため、石や岩から溶出したミネラルを感じさせます。そしてこの独特のミネラル感は酒に“力強さ”や“味わいの骨格”といった舌触りに近い感触(テクスチャー)を与えてくれます。松瀬酒造の水の個性を素直に酒に仕立てることで、料理に寄り添いながらも互いの味を後押しする酒質となり、食中酒に適した松の司らしい味わいが生まれています。
そんな自分たちの《水》の個性を確かめる中で、様々な水との比較も行ってきました。同じ硬度でも浅い水脈から汲み上げる水、滋賀県内でも地質の異なる水など手に入る他所の水との比較・検証を行う中で、自分たちの水とはまったく違う個性を持つ水と出会いました。それがやわらかくなめらかな口当たりの水、岡鑿泉工業所の井戸水です。
岡鑿泉工業所(以下、岡鑿泉)は竜王町に隣接する野洲市比江地区にあり、鑿井工事を専門とされてます。2014年に当蔵の井戸を新設する際、工事をしていただいたことでお付き合いが始まりました。琵琶湖への流入河川で最長である一級河川 野洲川のすぐ近くに位置する岡鑿泉の土地は、古くは造り酒屋があり、かつて敷地内に地下水が自噴していたほど豊富な水に恵まれた所です。
この土地の水にミネラルのニュアンスはあまり感じられません。やわらかく口の中でほどけていくような口当たりはどこまでも癖がなく、一部の醸造に取り入れながら比較・検証を進めるにつれ、なめらかさや華やかさが求められる現代的な大吟醸酒などに向いていることが分かりました。岡鑿泉の水との出会いは、酒造りにおける《水》の影響をあらためて実感する機会となりました。
「《水》の個性を理解し、違和感なく酒にすることは酒造りの根幹である」と私たちは考えます。岡鑿泉の水と向き合う中で、甘く華やかな大吟醸酒だけではなく、もっと《水》そのものの存在を感じさせ、やわらかな水の個性を活かした表現があるのではないかと感じました。
自分たちの水を知ることから始まった《水》の探究。松瀬酒造の水とは異なる個性を持つ岡鑿泉の水と出会い、その個性を違和感なく酒にすることを目指し生まれたのが『松の司 純米吟醸 みずき』です。この《水》への眼差しから酒を仕立てるという取り組みがこれまでの松の司とは異なる新しい酒へのチャレンジとなりました。
『みずき』の醪には、通常の仕込みより多くの水を使用しています。酒の味わいにおける《水》の個性を強く反映するためです。とても単純な方法のように聞こえるかもしれませんが、ただエキス分を薄めるのではなく酒の品位や香味を保ちながら「美味しい」酒を造るために、これまでとは違う細やかな調整を行う必要がありました。
このシンプルで繊細なチャレンジを経て完成した『みずき』は《水》の個性をクリアに感じさせます。落ち着いたほど良い香り、軽快な甘味とともに感じるやわらかな口当たりは岡鑿泉の水の個性を反映しており、《酒》と《水》との強い結びつきを感じることができます。
アルコールが低く抑えられたことによるライトな口当たりと飲み心地から、日本酒に馴染みのない方への最初の一杯にもなるのではないでしょうか。
[土壌別シリーズ]と[AZOLLAシリーズ]がいわゆる“米の酒”とするならば『松の司 純米吟醸 みずき』は“水の酒”です。前者が《米》とそれを育む環境を感じられる酒であるように、後者は《水》とそれに関わる環境や人を感じていただけるはずです。日本酒の重要な原料である《水》と向き合い、《水》で繋がったご縁とともに造り上げた『松の司 純米吟醸 みずき』。酒造りにおける原料への取り組みの新しい顔として、これまでの松の司とは異なる味わいの世界をお楽しみいただければ幸いです。
『みずき』の名前の由来は岡鑿泉の代表 岡久代さんにうかがったエピソードから。
先代のお義父さんが『みずき』という名前を気に入っておられ、自分の娘につけようとしたところ、当時は周囲の反対からつけられなかったそうです。その後、久代さんのもとに生まれた女の子にこの思い入れのある『みずき(瑞紀)』という名前をつけられたとのこと。久代さんと娘の瑞紀さんが大切にされている井戸の水で仕込むこの酒に、ご家族の思い入れが深い『みずき』という名前をいただくことにしました。
『みずき』の『瑞(みず)』はよく「瑞々(みずみず)しい」という言葉などで使われます。
この字には光沢があって生気に満ちているという意味があり、元々は君主が優秀な家臣に与える特別なしるし「玉(ぎょく)」、つまりは宝物を表しているそうです。また「酒」は古代の言葉で「ケ」、そして「御神酒(おみき)」のように『き』とも読みます。
久代さんが『みず』に込めた「めでたい・特別」という想いとともに、私たちは『みずき』の『き』に「酒」という意味を重ねました。
もちろんこの酒のコンセプトである「水(みず)」という音も含む『みずき』。私たちはこの名前に「特別な酒」「水の酒」という想いを込めて、やわらかな印象を感じさせる平仮名で『みずき』と命名しました。